2013/02/08

大町 - 会津若松市の町名 (1)

 大町は、江戸期には四町と呼ばれていた、大町、馬場町、新町、後町の当時、若松城下における有力な町々において筆頭に挙げられていた町で、江戸期から現在に至るまで城下や市街地において中心的な存在を担う町のひとつである。現在は大町一丁目大町二丁目が存在している。

歴史

 中世から江戸期にかけて


 大町の町名は、中世から既に存在しており、蘆名氏の治める黒川城の城下に存在しており、あとの米代一之丁付近にあったとされる。同時期から同様に存在していた町として馬場町などを示すこともできる。その後、文禄元年に蒲生氏郷が城下町の町割りを改めて行った。この際に、蒲生氏郷は武家が主に住む外堀の内側、郭内の地域と町人などが主に住む外堀の外側、郭外の地域に城下を再編した。このような蒲生氏郷による城下町の整備に伴い、大町は現在地に移ったとされている。

 この現在地に移った大町は、当時の上町の一部であったが、この上町とは、大町から東の町々のことを指していた。また、この大町は郭門、大町口から北方向に向かう通りであり、城下町における中心的な商業地であったとされている。具体的には、刀鍛冶などから豆腐屋、茶屋などに至るまで数多くの種類の店が存在していた。蒲生氏郷は前述の城下再編のほか、六斎市の導入も行なっている。大町は、この蒲生氏郷によって導入された六斎市が開かれる町のひとつとなり、五、十の日に市が開かれていた。

 江戸期において、大町と七日町、一之町が交差する地点は「札辻」と呼ばれていた。これは、会津藩内の街道などの起点、基準点となる地点であり、広報を行う高札場が設けられていた。この地点には、その後大正期に若松市道路元標が設けられている。

 江戸期における大町について以上のように述べることができるが、江戸期の大町は長さ6町54間幅4間で、一之町二之町三之町四之町道場小路町の傍出町が存在し、五之町から先は大町名子屋町と呼ばれていた。この大町名子屋町をさらに先に向かうと糠塚町に至っていた。加えて、寛文6年には人口2,349人が数えられ、化成期には353軒の家が存在していた。

明治期から住居表示前にかけて


 明治になると、江戸期の大町から、大町竪町大町二之竪大町三四之竪大町一之町大町二之町大町三之町大町四之町大町原之町大町名子屋町が成立した。これらの町々は当初「若松」を冠称していたが、その後明治22年後以降は若松市の一部となり冠称なしの町名となっていた。これらの町々は、昭和の大合併を経てそのまま会津若松市の一部となる。

 このうち、大町竪町は明治13年に戸数104、人口547、大町二之竪は明治8年に戸数22、人口111、大町三四之竪は明治13年に戸数30、人口220、大町一之町は明治13年に戸数65、人口297、大町二之町は明治13年に戸数63、人口254、大町三之町は明治13年に戸数51、人口202、大町四之町は明治8年に戸数37、人口204であった。

 明治期、当時の福島県令、三島通庸は会津地方から新潟、日光、米沢方面にそれぞれ道路を建設し、これを会津三方道路とした。この会津三方道路の開通にあたり、先に述べた札辻に「会津新道開通碑」が設けられた。さらに、明治32年には郡山と若松を結ぶ岩越鉄道が開通し、大町名子屋町の北側に若松停車場が設けられた。この他、若松町役場、若松市役所が町内に置かれるなどしていたほか、大町通りは明治期、大正期も若松市街地の中心的な商店街として栄えていたとされている。

住居表示以降


 昭和42年と昭和55年に大町周辺で住居表示が行われ、現在の大町一丁目大町二丁目が誕生している。具体的には、昭和42年に大町通りの西側の住居表示が、昭和55年に大町通りの東側の住居表示が行われている。

 昭和42年の住居表示では、大町原之町全部と、大町竪町大町二之竪大町三四之竪道場小路町原之町紺屋町七日町北小路町桂林寺町のそれぞれ一部から南側の大町一丁目が、大町名子屋町町北町大字石堂字糠塚裏一部から北側の大町二丁目が誕生している。

 昭和55年の住居表示は大町土地区画整理事業によるもので、前述の通り大町通りから東側の住居表示が実施されたが、区画整理事業によって新たに設けられた中央通りまでの区域が新たに大町一丁目大町二丁目に再編された。具体的には、大町竪町大町二之竪大町三四之竪のそれぞれ全部と、大町一之町大町二之町大町三之町大町四之町馬場下五之町のそれぞれ一部から大町一丁目が、大町名古屋町馬場下五之町町北町大字石堂字上坂ノ下町北町大字石堂字当麻東のそれぞれ一部から大町二丁目が誕生している。加えて、この住居表示によって新たに誕生した中央一丁目、中央二丁目にも旧来の大町の区域が含まれている。大町一之町、大町二之町、大町三之町、大町四之町の一部が中央一丁目に、大町名子屋町の一部が中央二丁目になっている。

 このように大町周辺においては住居表示が実施されたが、1950年に神明通りが開通したのに続き、1978年には神明通りが開通している。一方で、1967年には大町通りが一方通行になっている。これら通りの開通を受けて、これらの通りの沿道は商業地などとして発展する。

現況


 先に述べたように、現在は大町一丁目大町二丁目が存在している。このうち、大町一丁目は旧来の北小路町付近から旧来の五之町付近まで、中央通りと旧来の後之分町の間を町域としている。また、大町二丁目は、旧来の五之町付近から、会津若松駅南の旧糠塚町付近までを町域としている。

 大町一丁目は、町域の一部に神明通り中央通り (国道118号) などを含んでおり、これらの通りの沿道は市の中心的な商業地の一部となり、店舗やビルなどが並ぶ。一方で、大町通り沿道などにおいては漆器店、呉服店など古くからの店舗などが見られるほか、町域の一部は住宅街などにもなっている。町域はこのように現在も商業地を含むが、中心市街地の空洞化が指摘される中で、一部ではその商業地としての役割が低下していることも指摘することができる。

 大町二丁目も、町域の一部に中央通り (国道118号) を含んでいる。中央通り沿道は、大町一丁目と同じようにビルや店舗などが立ち並ぶ市の中心的な商業地域の一部となっている。加えて、大町通り沿道に古くからの店舗が見られ、住宅街となっている区域もあるが、町域には融通寺実成寺桂松院の寺院も存在している。

 大町一丁目、大町二丁目双方の東部を経由し、江戸期の商業地「大町」であった大町通りは、現在観光向けのバス「ハイカラさん」が経由している。観光客向けの施設、会津町方伝承館も大町二丁目の大町通り沿いに存在している。加えて、江戸期には「七日町」であった国道252号、七日町通り沿道の一部も大町一丁目の町域となっており、この七日町通りも「ハイカラさん」が経由し、沿道には白木屋資料館などがある。さらに、旧来からの大町通りの一部などについては、平成4年、野口英世青春通りの愛称が付けられ、平成12年11月には道路をレンガ敷きで融雪設備を備えたものにするなど、整備が行われている。

ギャラリー

大町通り、大町二丁目
現在の大町札辻

神明通り
 中央通り













参考文献

・『角川日本地名大辞典 7 福島県』 角川書店, 1983
・『町名の由来』 会津若松市教育委員会, 1986
・『会津若松市史 19 会津の史的風景』 会津若松市史研究会, 2006

2013/02/07

会津若松市の町名 (現在)

市街地中部

・中町
・栄町
・東栄町
・西栄町
・追手町
・山鹿町
・米代
 ・米代一丁目
 ・米代二丁目

・城前
・城東町
・城南町
・南町
・南花畑
・本町
・日新町
・七日町
・大町
 ・大町一丁目
 ・大町二丁目

・中央
 ・中央一丁目
 ・中央二丁目
 ・中央三丁目

・馬場町
・馬場本町
・昭和町
・上町
・相生町
・旭町
・行仁町
・宮町


市街地南部

・表町
・錦町
・館馬町
・館脇町
・天神町
・建福寺前
・北青木
・花見ケ丘
 ・花見ケ丘一丁目
 ・花見ケ丘二丁目
 ・花見ケ丘三丁目
・湯川南
・古川町
・東年貢
 ・東年貢一丁目
 ・東年貢二丁目

・西年貢
 ・西年貢一丁目
 ・西年貢二丁目


市街地西部

・湯川町
・新横町
・川原町
・御旗町
・材木町
 ・材木町一丁目
 ・材木町二丁目

・城西町
・日吉町
・幕内東町
・住吉町
・桜町
・柳原町
 ・柳原町一丁目
 ・柳原町二丁目
 ・柳原町三丁目
 ・柳原町四丁目
・金川町
・西七日町
・橋本
 ・橋本一丁目
 ・橋本二丁目

・八日町
・五月町
・緑町


市街地北部

・駅前町
・城北町
・石堂町
・蚕養町
・滝沢町
・白虎町
・山見町
・扇町


市街地東部

・千石町
・南千石町
・花春町
・宝町
・天寧寺町
・東千石
 ・東千石一丁目
 ・東千石二丁目
 ・東千石三丁目
・平安町
・桧町
・八角町
・飯盛
 ・飯盛一丁目
 ・飯盛二丁目
 ・飯盛三丁目

・和田
 ・和田一丁目
 ・和田二丁目
・慶山
 ・慶山一丁目
 ・慶山二丁目

若松城下の町名 (江戸期)

郭内

・本通
 ・本一之丁
 ・本二之丁
 ・本三之丁
 ・本四之丁
 ・五之丁
 ・六之丁
・米代
 ・米代一之丁
 ・米代二之丁
 ・米代三之丁
・横通
 ・大町通
 ・甲賀町通
 ・六日町通
 ・三日町通
 ・宝積寺通
 ・桂林寺町通
 ・諏訪通
 ・融通寺町通
・権現下郭
・内小田垣
 ・一番丁
 ・二番丁
 ・袋丁


上町

・大町
・馬場町
・甲賀町
・博労町
・一之町
・二之町
・三之町
・四之町
・五之町
・六日町
・中六日町
・行人町
・野伏町
・本郷町
・五軒町 (中六日町横丁)
・堀江町
・大工丁
・槻木町
・鳥居町
・杣丁
・竪三日町
・横三日町
・屋敷町
・南横町
・寺町
・阿弥陀町
・台ノ町
・東名子屋町
・組町


下町

・七日町
・桂林寺町
・大和町
・道場小路
・原之町
・紺屋町
・後之分町
・北小路町
・老町
・当麻丁
・当麻中町
・針屋町
・善久町
・西名子屋町
・赤井丁
・諏訪四谷
・融通寺町


南町

・竪町
・中町
・中横町
・西横町
・晒屋町
・常慶寺町
・二十軒町
・年貢町
・十軒丁
・河原新丁
・若葉丁
・花畑通
・湯川端通


小田町

・小田町
・長柄町
・組町
・厩町
・横通
・極楽寺前通
・宗英寺河原通
・河原新丁


徒之町

・中丁
・上長丁
・下長丁
・新丁
・清水丁
・高井丁
・六軒丁
・東大工丁
・横通
・隍端通
・浄光寺前通
・法林寺前通
・一乗寺前通
・願成就寺前通
・薬園前通
・下隍端


千石町

・一番丁
・二番丁
・中間町
・鷹匠町
・餌指町
・専福寺脇片原丁
・専福寺前通
・薬園前通
・高井丁通


外小田垣

・隍端一番丁
・隍端二番丁 

天寧寺町

・天寧寺町


花畑組町

・一番丁
・二番丁
・三番丁
・四番丁
・五番丁
・片頬丁
・河原通
・裏通
・石塚向丁
・石塚向河原丁

花畑

・大通
・西通
・花畑口通
・隍端通


漆原組町

・一番丁
・二番丁
・三番丁
・四番丁
・五番丁
・六番丁
・竪町通

象眼町


・鉄砲町
・稲荷丁
・弓丁


新町

・一番丁
・二番丁
・三番丁
・新丁
・横通
・湯川端通
・観音裏通

石塚

・石塚六軒丁


河原町

・河原町

片原町

・片原町

材木町

・材木町 


半兵衛町

・中河原町
・横丁
・新丁
・水主丁
・袋丁
・烏橋通
・横丁通
・新丁通


半兵衛組町

・一番丁
・二番丁
・三番丁
・四番丁
・五番丁
・横通

手明町

・極楽寺北通


柳原組町

・柳原町
・一番丁
・二番丁
・三番丁
・四番丁
・横通


糠塚町

・裏町
・外裏町
・木椎町
・通丁
・新田丁
・松円寺前通

千軒道

・紫雲寺前通
・木戸千軒道


滝沢町

・八十人町一番丁
・八十人町二番丁
・八十人町三番丁
・八十人町四番丁
・妙法寺前通
・八十人町長丁
・八十人町中丁

四軒丁

・同心町
・持筒町
・滝沢町
・中村
・蚕養口

会津若松市の旧町名 (住居表示実施前)

栄町

・栄町
 ・栄町一丁目
 ・栄町二丁目
 ・栄町三丁目
 ・栄町四丁目
 ・本一之丁
 ・本三之丁
 ・本二之丁上
 ・新栄町
 ・内小田垣
 ・郭内
 ・鶴ケ城
 ・塀ノ内
 ・十八蔵
 ・割場
 ・宝積寺通
 ・融通寺町口
 ・川原町口
 ・天寧寺町口


上町

・大町
 ・大町竪町
 ・大町二之竪町
 ・大町三四之竪町
 ・大町一之町
 ・大町二之町
 ・大町三之町
 ・大町四之町
 ・大町原之町
 ・大町名子屋町
・馬場町
 ・馬場一之竪町
 ・馬場二之竪町
 ・馬場三四之竪町
 ・馬場下一之町
 ・馬場上一之町
 ・馬場下二之町
 ・馬場上二之町
 ・馬場下三之町
 ・馬場上三之町
 ・馬場下四之町
 ・馬場上四之町
 ・馬場下五之町
 ・馬場上五之町
 ・馬場名子屋町
・道場小路町 (東側)
・甲賀町
・博労町
・本六日町
・上六日町
・中六日町
・上一之町
・上二之町
・上四之町
・下野伏町
・上野伏町
・本郷町
・大工町
・南横町
・鳥居町
・屋敷町
・槻木町
・愛宕町
・竪三日町
・横三日町
・寺町
・阿弥陀町
・浄光寺町
・台之町
・行人町
・東名古屋町
・五軒町
・蚕養町
・滝沢町


下町

・七日町
・桂林寺町
・大和町
 ・上大和町
 ・中大和町
 ・下大和町
・後之分町
・道場小路町 (西側)
・原之町
・紺屋町
・北小路町
・祝町
・老町
・当麻町
・針屋町
・善久町
・当麻中町
・赤井町
・西名子屋町
・諏訪四ツ谷
・融通寺町
・川原町
・新横町
・片柳町
・材木町


南町

・南町
 ・竪町
 ・中町
 ・中横町
 ・常慶寺町
 ・象眼町
 ・北川原町
 ・厩町
 ・若葉町
 ・漆原西町
 ・外小田垣
 ・花畑

年貢町

・年貢町


天寧寺町

・天寧寺町

徒之町

・徒之町

千石町

・千石町


本ブログについて

本ブログでは、福島県会津若松市および周辺地域などを中心に、町、通りなどの道路、鉄道などをトピックに地誌をまとめ、掲載しています。

それぞれのトピックについて、参照しやすいように体系的にまとめたページを設けていきたいと思っておりますので、ご覧になる際にはぜひご活用ください。

また、福島県会津若松市だけではなく、機会を見つけては別の地域のトピックについてもまとめていきたいと思っております。その際には、ぜひそれらの記事についてもご覧いただければと思っております。


本ブログが、会津若松市の地誌などのトピックについて関心を持たれる方のご参考となれば幸いです。